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明治2年から現在まで…NTT西日本の電報担当社員が語る【電報の歴史】
皆さまは、電報がいつ日本で誕生し、現在に至るまでにどのような進化を遂げてきたかをご存じでしょうか?今やお祝い事やお悔やみ事など、様々なシーンで活用されている電報にも、知られざるヒストリーがあります。そこで今回は、NTT西日本の社員が、電報の長い歴史をご紹介いたします。
<インタビュー先>
NTT西日本 営業推進部 企画部門 事業推進担当
写真左から、八代/久保
電報担当社員と電報の魅力を再確認
電報の歴史を振り返る前に、弊社社員の八代に、電報の魅力や主な利用シーンについて聞いてみました。
「初めまして、NTT西日本の八代です。お客さまにとって利用しやすく魅力のある電報であり続けるために、普段は電報台紙の開発、在庫や品質の管理をしています。また、インターネット電報『D-MAIL』を中心に、電報台紙の魅力をお伝えする業務もしています。
電報ならではの魅力といえば、なんといっても形に残ることではないでしょうか。差出人さまが送られたメッセージを、受取人さまは電報台紙と一緒に飾っておけるため、電報を受け取った日のことをいつでも思い返していただけるのではないかと思います。
また、気持ちのこもったメッセージを送れるというところも魅力ですね。差出人さまには受取人さまへ『大切な気持ちを伝える手段』として電報を選んでいただけていると感じています。
電報の利用シーンとしてイメージしやすいのは、結婚式の『祝電』や訃報の際の『弔電』だと思いますが、実はそれ以外でも様々なシーンでご利用いただいています。
例えば、おじいさま・おばあさまがお孫さまのお誕生日祝いを贈られるほか、ビジネスシーンでは、昇進・栄転など人事関係のお祝いや、叙勲などでも電報を活用いただいています。
最近はギフト性の高い電報台紙もあるので、電報台紙とメッセージが相まって、よりお気持ちを伝えやすくなっているのではないかと思います。電報を利用し、受取人さまにお喜びいただけたというお声も聞いており、私たちも大変嬉しく思っています。」
電報の発展と進化の軌跡!~電報が日本に広まるまで~
現在電報は、様々なシーンで真心を届けるツールとして活用されていますが、一体どのように誕生して、どういった発展・進化を遂げてきたのでしょうか。その長い歴史について、弊社社員の久保に、まずは電報の起源から聞いてみました。
「NTT西日本の久保です。業務としては、お客さまが電報をより便利にご利用いただけるよう、インターネット電報『D-MAIL』のメンテナンスやユーザー分析、企業さま向けのご案内などを行っています。」
アメリカにあった電報の起源
「1837年、アメリカの発明家サミュエル・モールスは、モールス信号を発明しました。多くの実験を重ねた末、1844年にはこの技術を用いて文章を送ることに成功します。これが、世界で初めて電報の仕組みを実用化させるきっかけとなりました。
その後、1853年に黒船で日本へ来航し、翌年の1854年に再び来日したペリーによって、当時のアメリカで使われていた電信機が徳川幕府に献上されたそうです。」
日本で花開いた電報文化
その後、アメリカから日本に持ち込まれた電報が、どのような変遷をたどったのかを続けて話してもらいました。
「電報が日本に生まれたのは、郵便より約2年、鉄道より約3年、電話より約21年も早い、明治時代初期である1870年のことでした。
文明開化の花が咲き、様々な文化が日本に浸透していく時代の中、電報もまた1つの文化として普及していきます。
当初は、メッセージの送受信に「ブレゲ指字電信機」という機械が使われていました。 “送信機の取っ手を送りたい文字の位置に合わせると電流が流れ、受信機の針が送信側で指定した文字の位置まで回転する”という仕組みで動いていたので、受信側では、一文字ずつ文字を読み上げ、墨で電報用紙に書き写していたのです。今では想像もつきませんね。」
「1870年に、横浜~東京間で開始された電報でしたが、遠く離れた方にも電文があっという間に届くことに、当時の人々はたいそう驚いたと思います。電報は新しい通信手段として大変重宝されて、日本中に広がっていきました。
北海道から鹿児島まで電信線が引かれて、日本を縦貫する電報ネットワークが繋がったのは1875年ごろのことだといわれています。当時は電信局が少なかったため、遠方に住んでいる人は、最寄りの電信局宛に手紙を送って電報を申込むこともあったそうです。」
電報の発展と進化の軌跡!~多彩な発展を遂げた電報サービス~
電報が誕生した当初、人々にとっては画期的な通信手段だったということが伺えます。そんな電報は、日本を縦貫して届くようになった後も、通信網の広がりと共に更なる発展を遂げていきました。
電信機の改良による通信効率の向上
「最初期に使われていた『ブレゲ指字電信機』は、受信側が針から目を離せないという難点がありました。そこで新たに登場したのが、モールス信号でメッセージの送受信を行う『モールス方式電信機』です。1871年には、海外から輸入された『モールス印字電信機』が日本国内で広く普及していきました。」
「1922年には、従来手書きで対応していた電報に、はじめてタイプライターが使用されるようにもなりました。
タイプライターで打った電報は紙に直接印字されるため、書き損じなどの間違いを減らし、電信技術が効率化できました。」
様々な電報の登場
当時最先端の通信技術を利用し、文字での伝達を主に取り扱ってきた電報ですが、現在のような電報台紙のサービスが生まれたきっかけはあったのでしょうか?
「電報に転機が訪れたのは“大正から昭和にかけて”のことです。
当時、新聞社などから『写真を送りたい』という要望が高まったため、1930年に写真電報のサービスを始めました。これが、“文字以外を取り扱う電報サービス”の発端となります。
さらに、1934年には年賀電報、1936年には慶弔電報の取扱いも始まり、日頃の連絡のみならず、特別なシーンにも使える通信手段として当時の生活に浸透していきました。」
「戦後の1952年には、NTT西日本等の前身である『日本電信電話公社』が誕生しますが、電話はまだまだ一般には普及していませんでした。そのため、通信手段として広く浸透していた電報が、引き続きよく使われていたそうです。
また、この頃には通信手段としてだけでなく、娯楽の要素としても使われ始めます。その中の事例の一つがなんと“囲碁”だったのです。東京と大阪に分かれた打ち手が、電報で一手を通知しあいながら対局を進める『電報碁』では、その様子が新聞に取り上げられるなど、世間から注目を集めました。」
「電報はこのように発展と進化を遂げてきた中、1963年に年間9461万通という利用のピークを迎えました。
現在では、冠婚葬祭時に気持ちをお届けする手段としてご利用いただくことが多いです。ご結婚やお誕生日、ご入学・ご卒業のお祝いなどのサプライズギフトとしてや、昇進・栄転のお祝いといったビジネスシーンなどにもご利用いただいています。」
最後に
今回は、電報にまつわる歴史についてご紹介しました。明治2年から始まり、2020年には150周年を迎える電報がたどってきた長い道のりを、少しでも知っていただけたのなら幸いです。NTT西日本は、今まで培ってきた信頼に応え、「送ってよかった」「受け取ってよかった」と思っていただけるサービスを引き続き提供してまいります。
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